Keisuke Fukase 深瀬啓介

光の粒の景色と“霧のようなもの”

自分の視覚体験のことを考えると不思議に思う。

生まれてからずっとこんな景色を見てきたけれど、今まで誰も“これ”に触れないし、子どもの頃に何度か大人に聞いてみたけれど誰も話さないので、“これ”については話してはいけないことなのだと勝手に考えていた。

でも、僕には確かに“これ”が見える。見えるものを否定しようがない。

景色はとても小さな光の粒で出来ている。“これ”を荒くすると、きっとPhotoshopのノイズを加えるというフィルターのようになるだろう。

しかし、“これ”はノイズよりも細く、一つ一つに色がついている。まるで、もの凄く細かい点描画を見ているようだ。

光の粒である“これ”自体をよく観察すると、これらは立体なのか、どうかはあまりに小さいので分からないが、微かに透明な“霧のようなもの”が動いているのが分かる。

この“霧のようなもの”には色の偏りがあるようで、あるものは緑色に、あるものは赤色に、またあるものはまだらな色で、べつなものはシャボン玉の虹色のようである。

“霧のようなもの”には一つ一つ特性のようなものもあって、動きがゆっくりと硬いものもあれば、速くてスムーズなものも、ユラユラと同じところを漂っているものもある。

どこから現れるのか、どこへ消えるのか、そういうのはよく分からないけれど、生き物の周りには何層もの“霧のようなもの”がまとわりついているようだ。

生きていない物にもあるが、物の“霧のようなもの”は普通は生きているものと違う特性があるようだ。中には生き物と似た“霧のようなもの”を持つものもあることはある。

面白いのは、人が物に触れると“霧のようなもの”の特性は一瞬で変わることである。それは物のもそうだが、同時に人のもそうである。別に人でなくても犬にも猫にも鳥にも同じことが起きるが、人が意識的に手で物を触った時は特徴的な変わり方をするようだ。

“霧のようなもの”は空を見てもある。大きな川の流れのようなものもあって、まるで天の河か光の帯のように綺麗なものもある。

人と物の“霧のようなもの”をさらに良く観察してみると、人が意識を向けて物に触ろうとするほんの一瞬前に“霧のようなもの”の特性は変わり始めるような気がする。気がするだけで本当にそうかは分からない。

光の粒の景色はまぶたを閉じていても見える。以前、だったら目を閉じても動けるのではないかと試してみたが、“霧のようなもの”のせいで目を開けている時の景色とは違い、超能力者のような透視能力など無いことが分かっただけだった。

この景色については話してはいけないことなのだろうが、これを読んでいるあなたもこの様に見えていることだろう。

僕はここに書いてみたけれど、当たり前すぎて誰も気にしないのか、それとも人によって見え方が違うのか、僕はいつも不思議に思っている。

この“霧のようなもの”は「オーラ」と呼ばれているものなのかは分からないが、このことを思い切って話すと、「自分のを見て欲しい」と頼まれることが多い。見たままのことを伝えると、それにどのような意味があるのかを尋ねられる。

私の経験と観察で分かることを伝えるが、“霧のようなもの”との因果関係など全くわからないので、テキトーと言えばテキトーである。

“霧のようなもの”には力がある、引きあったり、弾きあったり、それがあまりいい感じがしない“霧のようなもの”と相性がいいものもあれば、不思議とリラックスするいい感じの“霧のようなもの”と相性がいいものがあると私は思う。

このことがパワースポットとか宇宙エネルギーとかチャクラとか言われているものと人の“霧のようなもの”との関係の一つなのかどうか…私には分からない。分からないが、リラックスできるような場所には、気持ちが良い“霧のようなもの”が確かに見える。

これを意識を使って自分に引き込むこともできれば、遠ざけることもできるので、“見える”?ということで便利な気持ちはある。しかし、これもメカニズムなど知らないし、私の思い込みかもしれない。

“霧のようなもの”を「見たい!」と言われても、私が見ているものを他人に見せることはできないので、絵に描いて数名にプレゼントした時がある。

そしたら、プレゼントした人から後日、不思議な話しを聞いた。どこかの霊能者から言われたオーラの色と同じだったとか、ビジネスの成績が上がった時に気になって使っていた手帳やハンカチの色が後で気づいたら同じだったとか、その色のイメージ瞑想をしていたら体調が良くなって来たとか、そういう話しだ。

どれもその人の思い込みかもしれない。プラシーボと片付けてしまえばそれまでだが、この絵を飾っていたら部屋の雰囲気がとても良くなったとか、運が良くなったとか、そういうことを言われると、まあ良いことをしたのかなとさえ思ってしまう。

その人の“霧のようなもの”の絵にどのような効果があるのかなど全く知らないが、必要な人には描いてあげようと考えている。

霊感商法は私は好ましくないので、これで健康になれるとかそういうことは言いたくないが、その人の“霧のようなもの”に良い影響を与えるような“霧のようなもの”の絵を描いてあげようとも思う。

この“霧のようなもの”を何て表現したら良いのか分からないので、名称は未定である。